奉行職名一覧

トップページへ
奉行職名 種別 支配 発足 職務 詰席 役高 役料
/手当
定員 備考
寺社奉行 将軍 寛永十二年
(1635)
全国の寺社、寺社領の統括。 芙蓉 4 譜代大名の中から選ばれ、自邸を役所、家臣を配下とし、 月番で交代した。 将軍直属になったのは寛文二年(1662)から。
北町奉行 町奉行 老中 慶長九年
(1604)
江戸の行政(都知事)、治安(警視総監)、消防を管轄。 月番交代で訴訟受理。 三千石 1 旗本から任命。 それぞれ与力二十五騎、同心百二十人を配下とした。
南町奉行 1
中町奉行 元禄十五年
(1702)
1 享保四年(1719)に閉鎖。
勘定奉行 寛永十二年
(1642)
幕府の財政事務。幕府直轄領の支配、租税徴収。 享保六年(1721)、公事方(幕府領・関東農村の訴訟処理)、勝手方(幕領の租税徴収、新田開発等)に分かれた。 (一年交代でそれぞれ二名ずつが専任) 七百俵
/三百両
4 幕臣(旗本)から選ばれ、郡代、代官、蔵奉行、金奉行、漆奉行、 林奉行を配下とした。一名が道中奉行を兼務。
作事奉行 下三奉行 寛永九年
(1632)
江戸城の外郭、門櫓、見付や、寺社の建築などの工作営繕。 二千石
2 旗本から任命。下表の他、御大工頭、御掃除方、絵師、貼付師などを配下とした。
普請奉行 承応二年
(1653)
土木工事。
2 旗本から任命。下表の他、普請方改役、普請方同心などを配下とした。
小普請奉行 若年寄 元禄十四年
(1701)
江戸城、大奥、寛永寺、増上寺、浜御殿などの営繕。 元方(物品の購入)、払方(物品の受け取り・配分)の二部局に分かれていた。 中之間 2 旗本から任命。正徳二年(1712)に一度廃止され、 享保二年(1717)に復活した。
長崎奉行 遠国奉行 老中 寛永十年
(1633)
長崎の町政・異国船の警備・ 切支丹、抜け荷の取り締まり。 芙蓉 千石 四千四百俵 2 旗本から任命。与力十騎、同心十五人を配下とした。
京都町奉行 寛文八年
(1668)
京都の町政。 禁裡(きんり)御所の警備。 山城・丹波・大和・近江の訴訟処理。 千五百石 六百石 2 旗本から任命。 東西二つの奉行所で月番制。 与力二十騎、同心五十人を配下とした。
大坂町奉行 元和五年
(1619)
大阪の町政。 諸荷物の監察。 幕領の年貢徴収。 2 旗本から任命。 東西二つの奉行所で月番制。 与力三十騎、同心五十人を配下とした。
伏見奉行 慶長五年
(1600)
入京者の監察。 宇治川・伏見川などの通船管理。 三千石 1 旗本から任命。 元禄九年(1696)に一度廃止されるが、 元禄十五年(1702)に復活。 譜代大名から選ばれることもあった。 与力十騎、同心五十人を配下とした。
山田奉行 慶長八年
(1603)
山田の町政、伊勢神宮の警備、 祭祀の執行、営繕。伊勢・志摩の訴訟処理。 伊勢湾の管理。 千石 千五百俵 1 旗本から任命。 与力六騎、同心七十人、水主四十人を配下とした。 18代目が若き日の大岡越前。
日光奉行 元禄十三年
(1700)
日光の町政、日光東照宮の警備、 祭祀の執行、営繕。 五百俵 2 旗本から任命。 定員2名の内一名は江戸に詰めていた。 同心三十六人を配下とした。
奈良奉行 慶長十八年
(1613)
大和国の寺社に関する行政、訴訟処理。 千七百俵 1 旗本から任命。 与力七騎、同心三十人を配下とした。
堺奉行 貞享元~四
(1684~7)
堺の町政。港湾の管理。 六百石 1 旗本から任命。 与力十騎、同心五十人を配下とした。 元禄九年(1696)に大阪町奉行に統合されるが、元禄十五年(1702)に再設置された。
駿府町奉行 慶長十二年
(1607)
駿府の町政。訴訟処理。 駿河・伊豆の幕府直轄地の租税徴収。 五百俵 2
(1)
旗本から任命。 天和元年(1616)年に廃止、寛永九年(1632)に再設置された。 元禄十五年(1702)から一人役。 与力八騎、同心六十人を配下とした。
佐渡奉行 慶長八年
(1603)
佐渡金山の支配。 千五百俵
百人扶持
1 旗本から任命。 与力三十騎、同心七十人を配下とした。
浦賀奉行 享保五年
(1720)
江戸湾に入る船舶の管理。 千俵 1
(2)
旗本から任命。 与力十騎、同心五十人を配下とした。 数度に渡り、下田奉行と統合・分離される。
下田奉行 元和二年
(1616)
1 旗本から任命。 享保六年(1720)に一度廃止され、その後復活。 与力十騎、同心五十人を配下とした。 数度に渡り、浦賀奉行と統合・分離される。
新潟奉行 天保十四年
(1843)
新潟湾の管理。抜け荷の取り締まり。 ? 旗本から任命。 同年、新潟周辺が天領(幕府直轄地)になったことにより設置された。
函館奉行
(松前奉行)
(蝦夷奉行)
享和二年
(1802)
蝦夷地との交易管理、幕末には外国人対応。 二千石 千五百俵 2 旗本から任命。 一名が江戸に詰めていた。
旗奉行 江戸時代前 将軍家の軍旗、馬印の管理。 二千石 2 隠居役。(基本は旗本から任命。) 与力一騎、同心十五名を配下とした。 五節句だけ出仕(勤務)の閑職。
槍奉行 八王子の千人同心の支配。 3
(5)
同心十(十五)名を配下とした。 五節句だけ出仕(勤務)の閑職。
書物奉行 若年寄 寛永十年
(1633)
幕府の紅葉山文庫にある書物の管理。 焼火 二百石 七人扶持 5 同心若干名を配下とした。
小石川薬園奉行 享保六年
(1721)
小石川薬園の管理。 二人扶持 1 同心二名、荒子十一名を配下とした。
吹上奉行 吹上の御庭の管理。 吹上添奉行、御庭番(その一部が隠密)を配下とした。
膳奉行 朝夕の膳など、将軍の食物を司る。 6 旗本から任命。
浜御殿奉行 浜御殿(将軍の鷹狩りの場所)の管理。 浜御殿添奉行を配下とした。
学問所奉行 文久二年
(1862)
昌平坂学問所の支配。 大名から任命。 学問所詰儒者を配下とした。 元治元年(1864)廃止された。
腰物奉行 将軍家の刀剣類、大名に賜る刀剣類の調達・管理。 焼火 七百石 2 旗本から任命。
講武所奉行 万延元年
(1860)
講武所(幕臣に対する武術講習)の支配。 三千石 教授方と師範役がいた。
寄場奉行
(よせばぶぎょう)
寛政四年
(1792)
人足寄場の支配。 二百俵 二十人扶持 1 初代は長谷川平蔵。
幕奉行 留守居 幕府の幕、戦時の陣幕の管理。 焼火 四百石 十人扶持 2 それぞれ同心8名・中間12名を配下とした。 後に持高勤め・十人扶持になった。 文久二年(1862)に講武所奉行配下に移管された。
鉄砲箪笥奉行 幕府の鉄砲製造・修理・管理。 二十人扶持 2 組頭三名、同心三十名を配下とした。 後に持高勤め・十人扶持になった。 文久二年(1862)に講武所奉行配下に移管された。
具足奉行 将軍家の甲冑・具足の製造、修理、保管。 十人扶持 2 組頭四名、同心三十名を配下とした。 文久二年(1862)に講武所奉行配下に移管された。
鉄砲玉薬奉行 火薬の製造と管理。 持高 二十人扶持
/五百両
2 組頭三名、同心三十四名を配下とした。 文久二年(1862)に講武所奉行配下に移管された。
弓矢槍奉行 槍・弓矢の製造・修理・管理。 十人扶持 2 組頭四名、同心十九名を配下とした。 文久二年(1862)に講武所奉行配下に移管された。
大坂破損並材木奉行 大坂定番 大坂城内外の建造物の建築・修理。 川崎材木蔵の管理。 持高 2 それぞれに手代五名を配下とした。 元禄十一年(1698)から定員が三名になった。
大坂具足奉行 寛永十六年
(1639)
大坂城内の具足・旗・旗竿の修理や管理。 2 それぞれ同心六名(後に十名)を配下とした。
大坂鉄砲奉行 寛永二年
(1625)
鉄砲・鉄砲火薬の製造、修理、管理。 2 臨時に三名に増員されていた。 それぞれに同心二十名を配下とした。
大坂弓矢奉行 大坂城内の弓矢、弦、やじりの修理・管理。 四百俵 2 それぞれに同心十名を配下とした。
闕所物奉行
(けっしょもの)
大目付 欠所の刑を受けた者の財産の売却処分。 百俵 五人扶持 2 御家人から任命。
駿府武具奉行 駿府城代

☆奉行支配(配下)の奉行
牢屋奉行 町奉行 牢屋敷の総監督と刑罰の宣告と執行。 三百俵
十人扶持
1 石出帯刀(いしでたてわき)という武士が姓名と職を世襲していた。
金奉行 勘定奉行 幕府の御金蔵の管理、金銀の出納。 焼火 二百俵 百両 5 同心四名を配下にした。 正保三年(1646)に設置された。
蔵奉行 幕府の米蔵の管理、米の出納。 ? 9 手代五十名(?)を配下にした。 元和六年(1620)設置された。
林奉行 幕府所有の山林の伐採・材木運送。
油漆奉行 ?。
大坂金奉行 幕府の御金蔵の管理、金銀の出納。 二百俵 2 寛永二年(1625)設置された。
大坂蔵奉行 大坂の米蔵の管理、米の出納。 2 元和五年(1619)設置された。
二条蔵奉行 二条の米蔵の管理、米の出納。 寛永二年(1625)設置された。
作事下奉行 作事奉行 工事監督、勤務評価、材料の調達。 御納戸廊下 百俵 十人扶持 9 手代十六名(加えて見習い二名、出役七名)、書役四名(うち一名が出役)。
畳奉行 江戸城、役所の畳の新調・修繕・保管。 焼火 百俵 十五人扶持 6 元禄九年(1696)に設置された。
石奉行 幕府や寺社の工事の際の石材の調達・管理。 元禄二年(1689)、材木奉行と統合して材木石奉行となった。
材木奉行 幕府や寺社の工事の際の材木の調達・管理。 元禄二年(1689)、石奉行と統合して材木石奉行となった。
植木奉行 幕府と寺社の植木に関する用務。 百俵 五人扶持 手代十五名、同心五十一名を指揮した。 寛政三年(1791)に廃止された。
瓦奉行 瓦材に関する用務。 持高
小細工奉行 江戸城内の道具の修理。 百俵 五人扶持 2 元禄十年(1697)に廃止された。
普請方下奉行 普請奉行 百俵 十人扶持 4
※(?)=調査、確認中。
※発足年は「奉行」職になった年を基本にしています。
※詰席=大名や役人が江戸城本丸に登城した際に入る間(席)。将軍の信任度を表す。
※役高=その役職に対して必要経費を含めて決められた給与(米で支給)。 もしこの役高に届かない家禄(その家に代々決まっている)の者が役職に就く場合、 不足分を在職中に限り支給される。それを足高制(たしだかせい)と言う。
※○人扶持=一人一日玄米五合として計算され、一年分で一石八斗(五俵)の米の給与。
※勘定奉行、(江戸)町奉行、勘定奉行を上三奉行という。
※旗本=将軍直属の武士で一万石以下、将軍に御目見えを許された者。(許されない者=御家人)
※与力=旗本二百石の待遇(御目見えできない)。転属もなく、代々奉行所勤務。
※同心=全般的には、幕府の下級役人で諸奉行の下の所属、与力の下で雑務をこなす者を差す。
※手代=ここでは、農民(だけなのか疑問)の中から臨時に雇われた下級役人。
※五節句=正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日の五つの節句を指す幕府の式日。
※人足寄場(にんそくよせば)=幕府が無宿者や刑犯罪者の更正を目的に作った収容施設。寛政二年(1790)完成。
※出役=本来の職務を一時離れて、他の職務に就いている者(出向職員みたいなもの?)
※紅葉山文庫=徳川家康の収集した書物を元にした幕府の文庫(蔵書)。
Copyright© 2005- えんじぇる。 All Rights Reserved. (無断転載禁止)